馬鹿について

なんかid:itengineerさんに持ち上げられてちょっとうれしかったので書いてみた。

僕は馬鹿ですよーって話。
ほんとに馬鹿みたいですね。こんな話をしだすなんて、いやホントに馬鹿だけど。

でもまぁ、どんなプロジェクトでも要件定義フェーズでの現状把握は重要です。
となると、堅実な自分の成長を得るってのをひとつのプロジェクトと見ると、それには自分の知能レベルの正確な把握もひとつのファクタとして重要に違いないと思います。
そして僕は自分のことを+の贔屓目も−の贔屓目もなしに見るとやっぱり馬鹿だなぁ、という部分があります。
Giftedな人もいますが、自分は違うのだなぁ、と。

ここで凹むのも感情的な自分のためにはアリなんですが、本当にその状態から脱却したいと思うときには、いつまでも凹んでばっかしだと前に進めないです。これが−の贔屓目。

そしてコレを無視して、いや俺は実は天才なのだ。世間がわからないだけなのだ。だって想像の世界じゃなんでもできるもん!と逃避したり、逃避した世界での妄想に影響されて変に自我が肥大したりして「自分は勉強なんかしなくてもイケル」などと勘違いすると、論外ですね。これが+の贔屓目。ちょっと極端に走りすぎたか。

なので、+でも−でもなく自分の程度を見極めること、そしてその結果自分が馬鹿だとわかっても、それを正直に認めること、つまり僕の場合ですが、自分を馬鹿だと認めることは、堅実な成長のための第一歩なんだよなぁ、と改めて思いました。

なんかどっかで聞いたような結論になりかけてますが、まぁ、賢くなりたいのなら自分自身を正しく評価して、それに見合った方法、施策で勉強していかなきゃならないんだ多分、ってこと。


なんかまだ途中ですが、昼休みおわったのでこれで。