ざらざらと書きながらも整合性を保った文章を書く秘訣はなんだ!

適当に文章をつづった際に、その内容が整合性が取れているものになっているってのは何なんだろう。
そして、自分にそれができていないってのは何なんだろう。


どうすればいいんだろう。
よく考えながら文章を書けばいいのか?
でも、それだと文章を書くのに時間がかかってしまう。
僕は時間をあまり持っていない。
時間を食うことはやらないようにしている、だからそんなに
文章を書くことに時間をかけていたら、文章を書かなくなってしまうだろう。


そうではなくて、やはり常に考えていることに整合性を求めていくことが
必要なんじゃなかろうか、と思う。
いつも考えていることに整合性が取れているのであれば、書くことに
関しても自然と整合性がとれてくるんじゃないのかなぁ、と思う。
それが早道であり、きっとおそらくは王道なんじゃないのかなぁ、と思う。


というか、あれか、書くことに整合性が取れている、というのは、
その人の考えが整合が取れていることの証明なのであって、
書くことのみに整合性を求めるのはなんか違う、ということか。


では、どうしたら考えが整合性が保たれるかを考えよう。



  ・頭のなかに評価ロジックを作る。それが定期的に動作するように仕組む。
    評価ロジックに関しては、これから考えるとしよう。
    よい評価ロジックを作るにはある程度の試行錯誤が必要だと思う。
    まずは定期的にそれが実行できる仕組みを作って、
    何回も自分の考えを評価することが必要だ。
    ぱっと思いつくのが、携帯電話のアラーム機能を使って、
    日に何回か、自分が考えていることを棚卸して整合性が
    ないことを考えていないかどうかを検討するように自分に
    知らせる、ということが考えられる。
    よし、早速やってみよう。


  ・整合性が取れていない思考を持っていることに関して、危機感を感じるように自分を調教する。
   整合性が取れている思考を持っているときに気持ちよさを感じるように自分を調教する。


    これはね、正直つらい試みだ。
    どういうことをやりたいかというと、自分の考えに整合性が保たれていないときに
    早めに(何か問題がおきないうちに)自分にある種の不快感を与えていくということだ。
    そうすることによって自分がいついかなるときも整合性を持った思考を持つように
    方向付けていくことができることを期待する、ということだ。
    このつらい気持ちは簡単に実行できる。
    つまり、このブログで、自分が書いたひょっとすると整合性が取れていない思考を
    明らかにしていく、ということだ。


    整合性の取れていないみっともないエントリーを書けば、後で見返した自分が
    恥ずかしい思いをするだろう。
    あるいは、ご親切な人が、ありがたいことにDisってくれるだろう。
    自分はうぎゃーチクショーと思いながら、その後始末をするだろう。
    そして、ひょっとしてあるいは、整合性の取れていてかつ有益な情報を
    エントリーすることができたなら、うれしい反応をいただけて、うおーやったぜ!
    と悦に入ることもできるだろう。



てなところか・・・
まずは、携帯電話にアラームの設定をするかな、毎日一日3回、自分の考えを再検討しますよ、と。
次は、このアイタタな文章をはてな日記にエントリーするかな、と。


あれ?これって、ブログ書くことはすごく有益なライフハックだよ!さぁそこの君もやってみよう!
みたいなこと言っちゃってない?