コードの向こうには人がいる

助けてください。
id:itengineerさんの言うことがすごくその通りなんだよ。
チクショーどうしよう。

Webというサービスが生まれたのは、TCP/IPというテクノロジが完成した為ではなく、


「離れた人と情報をやり取りしたい」と誰かが思ったからだと考えると、


id:EnogunoCapさまが書かれているように「何を」と「どう」は互いに依存していますが、


「何を」は単独で発生する反面、「どう」はあくまで「何を」に従属します。


そう、「人」だ。
「人」なんですよ。本当に大事なのは。
「人」から来るニーズはソフトウェアにとって根源なんですよ。
枝葉だけ見てると「何を」と「どう」は相互に影響しあったり
依存したりしてるように見えたりもするけど、根っこをたどってくと
やっぱり人のニーズという「何を」がどどんとあるわけですよ。
コードの向こうに人がいるわけですよ。
いろんな意味で。
(「いろんな意味で」は蛇足か。ここではエンドユーザーっぽい意味で受け取ってもらえれば。)


うおーしまった。なんで見失ってしまったんだろう。


というわけで内省してみた。

この点でわりと混同されがちなのですが、かといって「テクノロジがサービスを生み出す」


というケースが無い訳ではないからなんでしょう。


テクノロジによって今まで出来なかった事が出来るようになった、


それを利用して今まで無かったサービスが出来る!で発展してきたWebを見て、


ソフトウェア開発という分野ではサービスとテクノロジの間に


相互に刺激しあう関係があります。

やはり、↑でid:itengineerさんが言われちゃってる通り、
この辺が僕の目を曇らせてしまったのかなぁ、と感じてます。
エンジニアとして、夢を(もしくは自己を)大きく持てるネタですからね、
「テクノロジーがサービスを生み出す」ってのは。


インターネットが情報のあり方を変えたよ。
コミュニティーの枠が物理的境界から自由になったよ。
社会がかわったよ!
技術が人を作るよ!
技術至上だよ!


てのは、エンジニアとして生きている自分の自尊心を
少なからず刺激するのかな、と。
その誘惑に負けちゃってたのかな、と。

いや、もうちょっと推し進めちゃうと、
その社会を変えた(と僕が思っているところの)技術を
実現することに僕が貢献したわけじゃ全然ないです。

にも関わらず、そこに自分の自尊心をくすぐられるということから、
僕が自己をその「すごいエンジニア達」に自分を重ねている、
自分を投影してしまっている、ということが伺われるのであって、
これはやっぱり自分の未成熟を意味しているのかなと自爆。


う〜ん
心の鏡を見てしまった。


ということでid:itengineerさん、有益なDisあざっす。